「山月記」(「青の炎」から)
お前は虎になるな!
虎になるのは白いマットのジャングルの上だけで。
酒によって意識が乱れることを「虎になる」という。
ものすごくよって大暴れする人のことを大虎、泥酔者を留置しておくところを虎箱というので結構耳にすることばだと思う。自分的にw
僕も虎になるタイプの人間かなと思うが、最近かなり減った。
そういえば人間が虎になるの話が「青の炎」(貴志祐介)に引用されていたなと思い引っ張り出した。
P155からの中島敦の『山月記』がそれ。モヤモヤ解消。
酒のことを「ささ」と読むらしく、笹と虎の組み合わせから酔っ払いを虎という説がある。
いずれにせよ虎にはなりたくないものだ。
理性が戻ったとき後悔するのは『山月記』の李徴に通じるものがある。

虎になるのは白いマットのジャングルの上だけで。
酒によって意識が乱れることを「虎になる」という。
ものすごくよって大暴れする人のことを大虎、泥酔者を留置しておくところを虎箱というので結構耳にすることばだと思う。自分的にw
僕も虎になるタイプの人間かなと思うが、最近かなり減った。
そういえば人間が虎になるの話が「青の炎」(貴志祐介)に引用されていたなと思い引っ張り出した。
P155からの中島敦の『山月記』がそれ。モヤモヤ解消。
酒のことを「ささ」と読むらしく、笹と虎の組み合わせから酔っ払いを虎という説がある。
いずれにせよ虎にはなりたくないものだ。
理性が戻ったとき後悔するのは『山月記』の李徴に通じるものがある。

『青の炎』(貴志祐介)P155~P158から
『新国語Ⅱ』のテストの出題範囲である、中島敦の『山月記』を読む。明らかな漢文調だが、独特のリズムと風格ある文章で、初めて目にしたときから、秀一は惹かれるものを感じていた。
ストーリーは、いたってシンプルだった。隴西の李徴は、秀才の誉れも高く、若くして科挙に合格し、江南の副長官に任ぜられた。だが、俗悪な役人の世界を嫌い、詩人として後世に名を残そうとする。しかし、文名は容易に上がらず、懊悩の末、夜中に寝床から起きあがると、訳のわからないことを叫びながら、闇の中へと駆け去ってしまう。
翌年、李徴の友人であった袁傪という男が、任地へ赴くために、たまたまこのあたりを通りかかり、危うく、人食い虎に襲われそうになる。だが、虎はなぜか、袁傪を殺さずに、身を翻して藪の中に隠れる。虎が人語で「危ないところだった」とつぶやくのを聞いた袁傪は、それが李徴であることに気付く。
そして、李徴は、袁傪に向かって、自分が虎に変身してしまった顛末と、現在の心境を語るのである。
『今から一年ほど前、自分が旅に出て、汝水のほとりに泊まった夜のこと、一睡してから、ふと目を覚ますと、戸外でだれかが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出てみると、声はやみの中からしきりに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駆けるうちに、いつしか道は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地をつかんで走っていた。何か体じゅうに力が満ち満ちような感じで、軽々と岩石を跳び越えていった。気がつくと、手先や肱のあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映してみると、すでに虎となっていた。自分は初め目を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢ではないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。まったく、どんなことでも起こりうるのだと思うて、深く懼れた。しかし、なぜこんなことになったのだろう。わからぬ。まったく何事も我々にはわからぬ。理由もわからずに押しつけられたものをおとなしく受け取って、理由も分からずに生きていくのが、我々生き物のさだめだ。自分はすぐに死を思うた。しかし、その時、目の前を一匹の兎が駆け過ぎるのを見たとたんに、自分の中の人間はたちまち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ましたとき、自分の口は兎の血にまみれ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けてきたか、それはとうてい語るに忍びない。だが、一日のうちに必ず数時間は、人間の心が返ってくる。そういう時には、かつての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪えうるし、経書の章句をそらんずることもできる。その人間の心で、虎としてのおのれの残虐な行いの跡を見、おのれの運命を振り返るときが、最も情けなく、恐ろしく、憤ろしい。しかし、その、人間に返る数時間も、日を経るに従ってしだいに短くなっていく。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気がついてみたら、おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐ろしいことだ。今少したてば、おれの中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。ちょうど、古い宮殿の礎がしだいに土砂に埋没するように。そうすれば、しまいにおれは自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い回り、今日のように道で君と出会っても故人と認めることなく、君を裂き食ろうて何の悔いも感じないだろう・・・・・・』
秀一は、顔をそむけた。少し前までは非常に気に入っていた文章なのに、なぜか今は、虫唾が走るような不快感を感じる。いや、それは、単なる不快感というより、恐怖に近い感情だった。
人を喰らう獣に成ることへの恐怖。
効果的な引用だと思う。
自分的には人への危害を為すという点で芋虫になるより怖い。
『新国語Ⅱ』のテストの出題範囲である、中島敦の『山月記』を読む。明らかな漢文調だが、独特のリズムと風格ある文章で、初めて目にしたときから、秀一は惹かれるものを感じていた。
ストーリーは、いたってシンプルだった。隴西の李徴は、秀才の誉れも高く、若くして科挙に合格し、江南の副長官に任ぜられた。だが、俗悪な役人の世界を嫌い、詩人として後世に名を残そうとする。しかし、文名は容易に上がらず、懊悩の末、夜中に寝床から起きあがると、訳のわからないことを叫びながら、闇の中へと駆け去ってしまう。
翌年、李徴の友人であった袁傪という男が、任地へ赴くために、たまたまこのあたりを通りかかり、危うく、人食い虎に襲われそうになる。だが、虎はなぜか、袁傪を殺さずに、身を翻して藪の中に隠れる。虎が人語で「危ないところだった」とつぶやくのを聞いた袁傪は、それが李徴であることに気付く。
そして、李徴は、袁傪に向かって、自分が虎に変身してしまった顛末と、現在の心境を語るのである。
『今から一年ほど前、自分が旅に出て、汝水のほとりに泊まった夜のこと、一睡してから、ふと目を覚ますと、戸外でだれかが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出てみると、声はやみの中からしきりに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駆けるうちに、いつしか道は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地をつかんで走っていた。何か体じゅうに力が満ち満ちような感じで、軽々と岩石を跳び越えていった。気がつくと、手先や肱のあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映してみると、すでに虎となっていた。自分は初め目を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢ではないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。まったく、どんなことでも起こりうるのだと思うて、深く懼れた。しかし、なぜこんなことになったのだろう。わからぬ。まったく何事も我々にはわからぬ。理由もわからずに押しつけられたものをおとなしく受け取って、理由も分からずに生きていくのが、我々生き物のさだめだ。自分はすぐに死を思うた。しかし、その時、目の前を一匹の兎が駆け過ぎるのを見たとたんに、自分の中の人間はたちまち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ましたとき、自分の口は兎の血にまみれ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けてきたか、それはとうてい語るに忍びない。だが、一日のうちに必ず数時間は、人間の心が返ってくる。そういう時には、かつての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪えうるし、経書の章句をそらんずることもできる。その人間の心で、虎としてのおのれの残虐な行いの跡を見、おのれの運命を振り返るときが、最も情けなく、恐ろしく、憤ろしい。しかし、その、人間に返る数時間も、日を経るに従ってしだいに短くなっていく。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気がついてみたら、おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐ろしいことだ。今少したてば、おれの中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。ちょうど、古い宮殿の礎がしだいに土砂に埋没するように。そうすれば、しまいにおれは自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い回り、今日のように道で君と出会っても故人と認めることなく、君を裂き食ろうて何の悔いも感じないだろう・・・・・・』
秀一は、顔をそむけた。少し前までは非常に気に入っていた文章なのに、なぜか今は、虫唾が走るような不快感を感じる。いや、それは、単なる不快感というより、恐怖に近い感情だった。
人を喰らう獣に成ることへの恐怖。
効果的な引用だと思う。
自分的には人への危害を為すという点で芋虫になるより怖い。

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